お酒の話

学ぶ

僕が、学生の頃は今ほど厳格な時代ではなく、大学のサークルの打ち上げでは、よくお酒を飲まされました。イッキ飲みなどが流行した時代です。飲めない方ではなかったので、調子に乗って飲み、正体もわからないほどに酔っ払いました。今思えば、お酒の味はその頃からわからないまま飲み続けてきたんだなぁと思います。雰囲気や調子に乗って、日常とは違う感覚になり、学業や仕事では味わえない特別感や気持ちが大きくなる高揚感に浸りたいという気持ちの方が大きかったのでしょう。

とにかく大量に飲みました。紅白でも見ながら年を越し、正月の間にかけて飲もうと考えて大晦日に購入したビール一箱(500ml×24本)を、一晩で飲み干してしまうほどです。このエピソードは、よく笑い話として話します。が、話しながら、最近ふと思いました。落語の芝浜とはまた少し違うけれど、あれは家族の作り話だったのではないかなと。幾ら何でも24本飲めるわけはない、へべれけに酔っ払っている僕には、何を言っても信じただろうし、ほっとけばそのまま寝そうだし、明らかに飲みすぎだし…ということで、作り話説も僕の中では、ありかなと思い始めています。真偽は確かめていませんが。僕は、お酒に飲まれてしまうタチなのです。

暑い夏の、職場のとある打ち上げで、当たり前のようにビールで乾杯しました。「やっぱり生ビールは上手いねぇ。」とかなんとか言いながら、喉を潤していました。真夏のビールは美味しいものです。「俺はさ、最近の発泡酒はダメなんだよなぁ。飲んだ瞬間に「ん?」て違和感みたいなのを感じて、翌朝に頭が痛くなるんだよ。」とかなんとか語りながら2杯目のビールを飲んでいました。するとある同僚が、「はしおかさん、あのね。」と話しかけました。別の幹事を務めている同僚が「しぃっ。言うな。」と何か含みのあるような表情で言うのです。「なになに?」と問うと、「実はね、はしおかさん、今生ビールだと思って飲んでいるこのビールは、発泡酒なんですよ。」「えぇ。うそ。…生だと思ってた。マジで?」

それから、僕はお酒についてはもちろん、飲食について味覚について語ることはほとんどしていません。自分の感覚で、「うん。このレバニラ美味しいなぁ。このもやしとタレがとてもレバーにあっている。」みたいな自分の感覚で語ることはします。料理を出してもらったら、美味しいなと感じたことを言葉にするようにしています。けれど、比較したり、知識を語ったりすることは、やめましたし、そもそもできなくなりました。

「お酒を嗜む、味わう」ということができません。験担ぎのこともあって、お酒を飲むという習慣もなくなりました。飲まない!禁酒!というわけではなく、飲めますが飲もうと思いません。僕は、お酒を嗜み味わうことができないのです。

今日、久しぶりに飲み会がありました。僕はお酒を飲みませんでしたが、飲んでいる皆さんを見て、観察している方が楽しいことに気づきました。食事も最後まで美味しくいただきました。お酒の別の楽しみ方を見つけたように思いました。

今日も、ここまで読んでいただきありがとうございます。みなさんの1日が充実しますように。

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