食べることが好きです。嫌いなもの、食べられないものはほとんどありません。なんでも食べられます。
けれど、美食家ではない。
多分小さい頃に本当に美味しいものや手の込んだものを食べたことがないのだろうと思います。裕福な家庭に育ったわけでは、ありませんでしたので当然かもしれません。
インスタントラーメンやカップラーメンが好き
若い頃から、お腹が減ったら、インスタントラーメンやカップラーメンを食べて満足していました。近くにスーパーがあるときは、閉店間際に値引きしている惣菜を買ってお腹いっぱいになるまで食べていました。ご飯が残っているときは、ご飯に納豆やらマヨネーズやら醤油やらをかけて、ぐちゃぐちゃにして食べていたこともあります。(今はそんな食べ方はしません。念の為)ただ、今でも、インスタントラーメンやカップ麺は、美味しくいただいています。カップ焼きそばも好きです。時々無性に食べたくなることがあるのです。最近は、スーパーで売っているシュークリームやカトレア、大福なども好きです。食べることは、大好きです。好きなものを食べたり、おなかいっぱい食べたりと、食べることには、自由でいたい、そうも思います。
まず調味料をかけていた頃
若い頃、料理を作ってもらいいただく機会は、何度かあるものです。育ちの悪さを露呈するようで恥ずかしいのですが、若い頃、食べる前に醤油やらソースをかけて、叱られたことがありました。「あぁ、そうか調理するということ、誰かに食べさせるということはそれだけ心遣いが必要なんだ。」「相手を考えて、繊細な味付けを考えて、料理を完成させるんだ。その味付けを壊すようなことをしていたんだなぁ。僕に調理は、無理だ、資格がない。」とその時学びました。食事は、特に会食は、食べられればいいや、お腹を満たせればいいや、というだけのものではないのです。僕には、調理の資格がないなぁ、相手を思う気持ちがないなぁと思わせるのに、十分な出来事でした。
だから、調理はできない。
相手のことを考えて、食材や味付け、調理法を考えるなんて、僕にはとてもとても…無理です。僕が調理すると、全てニンニク風味のしょっぱい味付けになります。肉を炒めても、うどんを煮ても、あまり代わり映えのしない味だと思います。自分で食べる分には、美味しくいただけるのだけど、子どものためにとか、家族のためにと考えると「まずいだろうなぁ。子ども達が残しても仕方がないなぁ。でも、残したら、食材を無駄にするよなぁ。僕じゃない誰かが調理した方が絶対に、家族にも地球にも優しいなぁ。調理するのはやめておこう。」という結論に至ります。だから、調理はできない。する資格もない。
お腹を満たせればよい。
基本的にお腹いっぱい食べられれば僕は幸せです。出された食事を「まずい。」と思ったことは、ありません。ただ一度、あるレジャー施設を家族で訪ねた時に食べたサラダうどんは、まずかった。これなら僕が調理した方がまだ食材を活かせたなぁ、美味しく調理できただろうなぁと、そこまで思わせる不味さでした。僕がいうのですから、本当にまずいです。どう調理すれば、こんなに不味くなるのだろう。不味く調理する技術だろうとまで思いました。これは、例外中の例外はあります。僕は、基本的になんでも美味しくお腹いっぱい食べられます。小さい頃からそうでした。カレーライスなども、食べ過ぎて動けなくなるまで食べました。お腹いっぱい食べることが、幸せでした。
食事が体を作る
筋トレの本を読んでいると、「食事は大切。食事を考えてとることで、ボディメイクを効率的に進められます。」みたいな内容には、よく出会います。僕も、筋トレやジョギングが好きなので、食事の勉強をしました。プロティンを飲んでいたこともあります。(半年ほどで、やめました。)太っていたので、レコーディングダイエットもしながらタンパク質や炭水化物、脂肪について学びました。
大雑把な食事管理でオーケー
大体の食事の栄養素とカロリーは、おおよそ当てられるように思います。大まかな栄養素は、意識しながら食事をとっています。炭水化物だけにならないように。ビタミンも取るように。筋トレする日は、タンパク質を少し多めに食事に取り入れるようになど、バランスに気をつけて食事をする程度です。あまりこだわりすぎると窮屈になり過ぎて、モチベーションが下がります。毎日を健康に、良いパフォーマンスが発揮できる程度で僕は良いので、大雑把な食事管理でオーケーとしています。
美食家ではないけれど…
田舎育ちなので、幼い頃は、収穫したり、頂いたりしたりんごやなし、トマトなどはお腹いっぱい食べました。そういえば、りんごやなし、トマト、スイカなどは、小さい頃に食べたものが美味しかったなぁ。あれよりも美味しいと感じる果物や野菜は、これまであまりなかったように思います。
食事の作法の大切さがわかる
だいぶ年齢を重ね、現在では食事に調味料をほとんど使いません。サラダなどは、何もかけずに食べます。出された食事は、何もかけずにいただきます。素材の味を楽しむというそれでしょうか。薄味の主菜でも大歓迎で食べます。ご飯もご飯だけで、味わいながら食べられるようになりました。けれど、今でもインスタントラーメンやカップラーメンも好きです。
考えてみると、若い頃は、食べることに本能的な欲求しかなかったように思います。調理してくれた人、運んでくれた人、調理してくれた人など、この食事に関わってれた人たちを考えることもありませんでした。
調理した人と食べる人をつなぐものが作法。会食は人間関係。
調理している人の気持ちと配慮の有難さを経験しました。調理をしてもらい、いただく立場だからこそ、食事には作法が大事なのでしょう。配慮に欠けた食べ方をしたり、汚く食べ散らかしたり…というのは、調理を通した人間関係・信頼を壊す行為になのです。改めて痛感しました。
けれど、調理するのは…。
この歳になって、気づくことや認識することが結構あるものです。気づくのがもう少し早ければ、と思うことが多いこの頃です。
読んでいただきありがとうございます。良い1日になりますように。